第三号
:平成13年1月1日発行
勝岳会だより
WEB版
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平成14年5月製作
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勝光寺本堂の祖師像は「横向きの御祖師さま」とよばれている通り、右手に顔を向けておられる。
そのさきには、幼少の経一丸のちの日像上人が控えている。高名な六老僧が日蓮聖人の直弟子だが、いずれも成人してからの弟子入りであったのに対して、日像上人はその勉学の時期から大聖人の膝下にあった。その薫陶如何ばかりであったろうか。当時の首都京都に法華弘通を実現したのもまさに大聖人からの遺訓であったからこその事である。
『年頭所感』
勝光寺住職 藤田尚哉
四十にして惑わずとは世間でよくいう言葉であろうが、自分自身がその年になってみると日々惑わずにはいられない現実に驚かされ、凡夫の身を改めて認識させられる。そこへ2001年、二十一世紀の幕開けの年ということを考え合わせると、なおさら焦燥と無力感に襲われてしまう。追い討ちをかけるように政治・経済・教育、私はどれも専門家ではないが、どれを取ってみてもすっきりしない先細りに見えてくるのは私だけなのであろうか。
昨年の後半、政治を変えなければならないと立ち上がった方々もあっという間に元のさや、しかも変えるかえるといいながら、どのように変えて行くのか全然見えてこない。景気の低迷は底を着いたといわれ徐々に戻りつつあるというけれども、倒産件数は戦後最悪、失業率は5%にもなる。年度当初上昇した株価はあくまで正月気分のご祝儀であり、その後は下降の一途を辿るであろう事態は一体どのように考えていけばいいのであろうか。学級崩壊・学校崩壊と叫ばれてそれでも一方通行の授業が主流の教育システムはどうなのか、高齢社会に備えて少しでも福祉ボランティアに目を向けようと始められる学校での福祉活動授業にしても、アメリカのボーディングスクールに見られるような中学高校一環教育のゼミ形式のなかでのボランティアヘの取り組みとは少し事情が異なるように思われ、しかも、日本の場合は強制的な要素が強いように感じられるのは何故であろうか。
このように周りを見れば見るほど混迷を深めるなかで、自分自身がどのように二十一世紀を進んで行けばよいのかを考える時、日蓮聖人のご生涯が私たちに大きな示唆を与えてくれるように思われるのである。
それは聖人が常に法華経を明鏡として世の中を映し出され、お釈迦様の声を聞きながら自覚を持って行動されているからであろう。
11月5日 日蓮大聖人御報恩御会式
日蓮聖人のご生涯のなかで、人生の半ばである40歳前後を見てみると、激動の時期であることに改めて驚かされる。聖人38歳のとき、前執権北条時頼に「立正安国論」を奏献されてからというもの法難が次々に起こるのである。8月には鎌倉松葉ヶ谷の草庵焼き討ち、一旦下総中山に居を移したものの、翌年5月には執権北条長時によって伊豆に配流せらる。しかしながら、船守弥三郎に助けられ手厚い保護を受けられるのである。聖人は配流中の身でありながらも、ご自身40歳の時に初めて御内証の発露ともいうべき「教機時国抄」を著し、続いて「顕謗法抄」いう重要な御書を撰述されている。この二つのご遺文は、伊豆流罪を契機として日蓮聖人のなかに法華経の行者の自覚が明確になり、その一分を表現されたものとなっている、すなわち、法華経の行者は法難に遭うという釈尊の金言に、聖人の伊豆流罪が合致したのである。ここに初めて聖人は、そのご内証を著述せられていくのである。
日蓮聖人は「教機時国抄」のなかで、仏法を弘通する者は五義判(教・機・時・国・教法流布の先後)を弁えるべきことを説かれている。教とは法華経であり、機とは末法の謗法の機根である我々。時とは教に導かれる時、正法を語るときであって、仏滅後の時代を考察して、末法の今こそ法華経を説き弘べき時であるとする。国とは日本国であり、教法流布の先後とは、仏滅後の仏教流布の歴史を考察して、法華経の流布と救済を決定すると説かれている。更に、「顕謗法抄」では、機に集約して末法の機根を考え、その対処方法を説き著しておられる。
これら聖人の精力的な著作活動の裏には、当時の政治・経済・生活環境への聖人の洞察があり、荒んだ日々を何とか救いたいという聖人の一途な思いがあることは言うまでもない。しかも正法である法華経を通して釈尊に直参し、そのお言葉に忠実に従われる聖人の敬遠な態度が読み取れるのである。聖人は正しく四十にして惑わずの人生を歩まれており、そこには常に釈尊と共に生きられている聖人の姿が思い浮かんでくるのである。
このように中世激動期の日蓮聖人のご生涯は私たち迷える衆生に対して大きな示唆をあたえるものである。この二十世紀の末法国乱の時代にあたり私たちは日蓮聖人のお姿を頼り所とし、励みとしながら、なおかつ聖人が釈尊に直参されたように二十一世紀へと踏み出して行きたいと切望するものである。
◆ 勝岳会の一年 ◆
『立教開宗750年慶讚 日蓮宗近畿教区大会』
「750誓い新たに」
昨年より檀信徒の皆様方にお知らせしておりました近畿教区大会は、11月11日の土曜日に大阪の舞洲アリーナにおいて開催されました。勝光寺・龍岳院から36名の参加者を得、アリーナに近畿の日蓮宗檀信徒6000名が集う盛大な大会になりました。
大会は第一部・第二部・第三部構成になっており、立教開宗750年の意義を考え誓いを新たにするため、それぞれに趣向を凝らされたものでした。第一部の「日蓮聖人の叫びを現代に問う」は、テレビ等でおなじみのみのもんた氏が司会を務め、ゲストに作家の藤本義一氏、テレビ朝目解説委員の和田 俊氏、タレントの遥 洋子氏、コメンテーターとして立正大学元学長 渡辺寶陽氏を迎え、聖人のお考えや思いを拾い出し、現在から未来にわたりどのように伝えていくか、僧侶も檀信徒も主体的な問題としてこれを捉えていくためのきっかけになればと企画されたもののようでした。テーマは健康食品や日常生活の知恵ではなく日蓮聖人に限定していましたが、観るものをさながらお昼のテレビ番組「おもいっきりテレビ」の公開放送に参加しているような気分にさせる第一部でした。第二部は「立教開宗750年慶讃大法要」を、声明師三十名・修法師七十名の出座を得て、雅楽の音色が静かに流れるなか、日蓮宗管長・身延山久遠寺法主 藤井日光猊下御親修のもと執り行いました。さらに第三部は「やすらぎのひととき」と題して、立正大学教授の磯貝静江先生監修の下、立正大学ブラスバンド部とコーラスグループ「プンダリーカ」による歌と音楽のひとときを会場の皆さんと楽しみました。
以上大会は、三部構成にて午後一時より予定を一時間オーバーしての六時までになりました。会場の都合上、また五時間にも及ぶ長時間の大会は、観るものをして疲れた・腰が痛い・膝が痛いなどの多少の小言も聞かれたものになりましたが、750年の節目の年に6000名もの方々が相集い、信仰を確かめ合い、そして二十一世紀に繋げていくことができるならば大変意義深い歴史にとどめられる大会でありましょう。
大会に参加してくださった檀信徒の皆様方には、一日大変お疲れ様でした、と同時に心より御礼申し上げます。有難うございました。
「御会式 アンド バザー」
去る11月5日(日)勝光寺・龍嶽院合同の御会式法要が勝光寺本堂にて執り行われました。当日午前10時より各家先祖の報恩法要が奉行され、檀信徒の皆様と一心にお題目をお唱えして、一年のご恩に感謝申し上げました。
引き続き万灯練行列が行われ、勝光寺周辺を30分程度練歩きました。今回の万灯行列は、例年飾り付けをしている手づくり万灯一基に加え、善正寺様から纏をお借りして先導をするという例年にない盛り上がりを見せたものになりました。しかも保育園の先生方の協力を得て檀信徒の皆様が団扇太鼓を打ち鳴らす様は、規模はまだまだ小さいものではありましたが、さながら東京池上の万灯行列を思い起こさせるものがあり、日蓮聖人もどんなにお喜びだろうと涙が出るほど感動しました。考えると気恥ずかしい思いをしながら行列に参加して下さったであろう方々も含め、協力して下さった皆様に心からご慰労申し上げ感謝申し上げたいと思います。
午後からはお上人様方六名の御出仕を得て、盛大に御会式法要が営まれました。万灯行列から引き続いての法要でもあり、その余韻がそこはかとなく感じられる厳粛な式でありました。
ところで、勝岳会主催のバザーですが、本年は三回目を迎えます。そこで今回はより多くの方々にバザーへ参加をしていただこうと保育園のバザーと同時開催を企画いたしました。お蔭様で檀信徒保育園の保護者の皆様はもとより、近隣の方々もバザーにお運びいただき、勝光寺境内はさながらお祭り縁日のような賑わいを見せておりました。勝岳会の皆様にも張り合いが出来たと見え、大きな声が飛び交うなか、バザーの品々は例年になく早くに完売になっていました。収益金はいずれ御報告をさせていただき、勝岳会の会計に計上した上、有効に使わせていただきます。
「勝岳会物故者法要」
平成12年度の勝岳会物故者追善法要が、勝光寺住職導師のもと、林・内山両勝光寺山務上人出仕を得て、今年も厳粛に執り行われました。
御宝前には、平成11年6月より平成12年5月までに逝くなられた会員の大塔婆が建てられ、法華経、お題目の声が聞こえる中、勝岳会役員の方々をはじめ亡き会員のご親族の皆様が報恩感謝を込めて焼香されていました。
「川施餓鬼大法要」
「年々増える紙塔婆 施餓鬼の重要性をつくづく感じる」
今年も8月18日、お盆を締めくくる川施餓鬼法要が琵琶湖湖上において執り行われました。
勝光寺・龍嶽院・長徳寺
■年間行事報告■
1月7日
長徳寺甲子
1月16日
大黒尊天福寿祭
2月27日
国祷会並各家諸願祈念法要 水行式 節分・星祭り 特別祈祷法要 御火焚き祭
3月7日
長徳寺甲子
3月19日
春季彼岸法要 龍嶽院
3月20日
春季彼岸法要 勝光寺
4月7日〜8日
法華経千部読講会(第二回)
4月9日
花祭り・鬼子母神千団子会
5月6日
長徳寺甲子
5月7日
前寺庭三回忌法要
5月21日
称観世音菩薩春季水子供養大祭
(6月10日)
石川大黒祭
6月18日
勝岳会物故者追善法要
7月5日
長徳寺甲子
7月24日〜26日
土用行唱題 行朝参り
7月30日
土用の丑キュウリ封じ・焙烙灸
8月6日
孟蘭盆会法要 勝光寺
8月9日
孟蘭盆会法要 龍嶽院
8月16日
龍嶽院送り火法要
8月18日
川施餓鬼大法要
8月24日
長徳寺地蔵盆
9月3日
長徳寺甲子
9月23日
秋季彼岸法要 勝光寺
9月24日
秋季彼岸法要 龍嶽院
10月15日
水子観音大祭 並 七面大明神大祭
11月2日
長徳寺甲子
11月5日
日蓮大聖人御報恩御会式・バザー
11月11日
七五〇教区大会(舞州)
12月16日
御身拭い 龍嶽院
12月24日
御身拭い 勝光寺
■ 総代さん紹介
米原 伸治さん
総代として日頃お世話になっている米原伸治さんに、家のお仕事の話などを伺ってきました。以下はその要旨です。
米原伸治さんは、現在京都扇子団扇商工協同組合理事、また京都扇子加工協同組合理事長をしておられます。
日本の伝統的な扇子の製造は京都がその九割以上を生産し、八工程に分かれるその伝統技術の職人さんがそろっているのは、京都をおいて他にはありません。米原さんのお宅はその中の「箔押し」という、金・銀の下地造りの職を専門にしておられます。伸治さんは、万寿院柳馬場で創業された先々代からの三代目です。金箔と、純銀を酸化させて黒くなっていく途中金色になる過程を使用したり、玉虫色のものにしたりと、ちょっと素人にはわからないような伝統工芸技術の専門家です。
西陣織など京都には歴史的な伝統産業が多くありますが、扇子もその代表的なもののひとつです。扇子の曲線に囲まれた世界の構図は、宗達光琳の図案、花鳥風月にほぼ完成されていて、これを越えるものはなかなか難しいとのことです。
また日本の扇の文化は、開かない扇のもので、あおぐのは団扇であり、扇子は挨拶の時の結界に用いたりと、西洋の扇とは全く違います。元々平安貴族の時代に、檜の薄板をメモ用紙にしたものを、束ねたのが原型で、やがてこれに女官などが絵を描いたり、歌を書いておくり合ったりと独特な発展をとげてきたものです。あまり庶民には縁の薄い羽織袴の暮らしのものと言えるかもしれません。
勝光寺との縁は、先代が総代をされ、伸治さんも客殿建設の勧募会計を担当され、引き続き現在総代の中堅として御貢献を頂いております。
お母様の静栄さまからは、俳句の投稿を頂きました。
●勝光寺客殿ホールで雅楽・音輪会の練習
11/4 京都コンサートホールで第三回公演 大盛況
平成12年5月より客殿ホールで始まった雅楽会(音輪会)の練習は、ほば毎月一回開かれ、秋11月には立派な演奏会が開催されました。
練習の場を随光寺より勝光寺ホールに移した「音輪会」は、関西若手の雅楽演奏者によって結成され、京都日蓮宗雅楽会と合同練習を行い、着実に発展している会です。千数百年の歴史を持ち、奥の深い芸術である雅楽に対して昨今は雅楽ブームと言われるほど関心が高まっていますが、なかなか生の演奏を聴く機会は少なく、音輪会の今後の活動が一層期待されます。
●立教開宗750年慶讚 清澄寺団参のお誘い
平成13年6月8日(金)から6月10日(日)
行程
1日目
鴨川グランドホテル泊
2日目
清澄寺 誕生寺 鏡忍寺
3日目
三島妙法寺
費用
お一人6万円
●会費振込口座のご案内
日頃より、会費を納められる際には来寺されたり郵送されたりと、お手数をお掛けしております。振り替え口座を開設しておりますので、是非ご利用下さいます様ご案内申し上げます。
宗教法人 勝光寺 振替 00920-7-140010
宗教法人 龍嶽院 振替 00990-4-140009
ご利用の際には同封の振込用紙をご利用下さい。尚、手数料70円が必要となります。
《編集後記》
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第三号をおとどけします。お知らせしたいことが、まだあるのですが紙面の関係で省きました、写真も少なく申し訳ありません。次回ご期待ください。林浄伸
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檀信徒の皆様と接して頂くという尊い経験を生かし今後一層法華経弘宣流布の為に精進して参ります。内山智伸
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発行所 勝岳会 京都市下京区中堂寺西寺町1 勝光寺内
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発行者 藤田尚哉
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編集者 林浄伸、内山智伸、西村すなお
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