『ミレニアムの時を迎えて』
 西暦二千年を迎え、本年は有史以来の人類の長い長い歴史を考える、思いをはせる年になりそうです。
 周知のように西暦はイエスキリストの生誕の年から起算されているのですが、正確には誕生して四年目を西暦元年としているようです。一方釈尊の誕生については、色々な説があるようですが、紀元前565年に降誕されているというのが一般的であり、これからすると西暦に対して釈尊のを東暦と勝手に規定すると、本年は東暦2565年ということになります。
 これは先にも述べた通り諸説があり、はっきりしないのが実状で、学説によっては異論のあるところです。
 ところで、日蓮聖人は波木井殿という身延大檀越に送られたお手紙の中に
 日蓮は日本國、人王は十五代後堀河院御宇。貞應元年壬午安房國長狭郡東條郷の生まれ也。佛の滅後二千百十一年にあたる也。
とあります。
 この御書は、日蓮聖人の直筆、もしくは聖人の直弟子の写本が残っておらず、真意の程は確かではありません。しかし、今仮にこの年数を基にすると、記されている仏滅後2171年から日蓮聖人がお生まれになられた時年は釈尊降誕2250年となり、本年は東暦3028年という試算が出来ることになります。
 さらに日本国には古来より皇紀といわれる、日本書紀にしるされた神武天皇の即位の年(西暦紀元前660年)を元年として起算した暦が存在し、それによると本年は2660年ということになります。
 私達仏教徒として、特に僧侶たる者は西暦を使うことに少なからずためらいを感じなけれぱならないのかもしれません。すなわち、西欧諸国においては、日常生活の中に厳格にイエスキリスト(神)の存在が根ざしている中でクリスマスの行事等々も取り行なわれていると聞きます。敬虔なキリスト教信徒ほど、クリスマスはミサに参加し、家族と一緒に過ごすというのが一般的であるとすると、本年の西暦二千年はまさに記念すべきミレニアムであって、悠久の時を感じながら、家族知人と過ごす大切な、そして千年に一度の貴重な年であると思われます。それに比較して私達仏教徒は、クリスマス等を受け入れ、いろいろと行なわれるイベントや雰囲気にただ酔いしれている感があるように思われるというと暴言だとおしかりを受けるかもしれません。沢山の人々と知り合い、愉快に楽しく語らい合い、視野を広げて行くことでの場の盛り上がり、イベントは結構ですし、私もそうありたいと願いますが、本質、あるいは原点を忘れてしまったのでは危険ではないかとふと考えさせられます。クリスマス、お正月の意味や本質も考えず、なおかつ西暦の起源も知らずに二千年を祝ったのでは、何か薄っぺらな気分屋でしかないのではないかと思ってしまうのです。
 キリスト教徒にとって西暦とはどんな意味をもち、クリスマスはどう過ごすのかが信仰にかかわることだけに重要なことですし、故に西暦二千年は千載一遇のカチある年のようです。
 私はここに来て東暦、皇紀暦を皆様仏教徒に強要するつもりは決してありません。それよりもむしろ西暦二千年という記念すべき節目の年を千載一遇と考え、明日への希望につなげ、その意味、本質を考えた上で、気持を切り替え、奮起し、人生を歩んでいただきたい。そんなけじめをつける年であって欲しいと願っています。人間はともするとくじけたり、不安におそわれ、行き詰まってしまうことがないとも限りません。ましてや世情は不安定であり、経済不況がさけばれる世の中にあってはいつにも増して気持が暗くなりがちです。西暦二千年はそんな心持ちの切り換え年、そして、原点に立ち返っての一からの出発時年なのかもしれません。
 日蓮聖人は、
それおもんみれぱ、日蓮幼少の時より仏法を学し候しが念願すらく、人の寿命は無常也。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬にあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習い也。されば先ず臨終の時を習ふて後に他事を習ふべし。(妙法尼御前御返事)
といわれています。お正月に「死」を考えるなんてと思われるかもしれませんが、日蓮聖人は死を悲観的にとらえられたのではなく、真の仏教者として生き抜く上での基本に置かれていたように思います。
 私達は二千年という節目の年を基点としてこれから生きていくにあたって原点である自分の死を見つめ直すことにより、今ここに生き、そして勉学しているという一見平凡な日常を、実は最も不思議で、尊いもの、光輝けるものとしてとらえる道があることを私達は学びたいものです。
 
 黒豆、かまぼこ、紅白なます、田作り、栗きんとん、おせち料理が現在のような形になったのは江戸時代後半のようです。
 おせち料理は、江戸の粋や、ユーモアを凝縮した庶民文化から開花したものです。そもそもの由来は正月の節句料理で神仏にお供えするものでした。
黒豆 まめ(健康)
数の子 子孫繁栄
昆布 よろこぶ
勝ち栗 勝つ
田作り 豊年豊作祈願
くわい 幸先が良い
(いわしが肥料に使われたことから)
 
(頭がピョコッと出ているから)
蓮根 沢山の小穴から、先が見通せる ・・・などなど
このように、元旦に祝う祝肴(おせち料理)は、無病息災や子孫繁栄を祈ったものです。その願いを食べ物の形や名前の語呂合わせに託してしまうところに、ユーモアあふれる江戸の町人文化のおおらかさを感じてしまいますね。
『人らしく』
 食事の前には合掌し、仏さま、神さま、自然の恵みに感謝し、おいしく料理をいただく。
 日本の素晴らしい文化です。
 本来食事は、食欲を満たすための原始的な行為、卑しい行為とされてきました。そこに、人間らしさを求め、食文化は発展したのです。
 仏教には「煩悩即菩提」という言葉があります。
 煩悩とは肉体を持っているが故の苦しみであり、菩薩とは、悟りの心、仏さまの心であります。互いに相反することですが、人は煩悩という苦しみを知るからこそ、菩提を求め、得ようとするのです。
 私たちは、不安や迷いを感じることが出来るから、そこに答えを見いだし、解決していこうと努力する。悲しみや痛みを知っているから、人やものを思いやるし、優しくなれる。
 「所詮人間なんだから」といわずに、「人間だからこそ出来るはず」と前向きに生きていくことが大切なのです。
 
勝岳会の一年間
 
六月 物故者法要
『厳粛にいとなまれる』
 平成十一年度勝岳会物故者追善法要が、藤田住職の導師のもと、福澤上人を式衆に参列者十五名を得て厳粛に取り行なわれた。
 御宝前には、平成十年六月より平成十一年五月までに逝くなられた会員の大塔婆が建てられ、読経、お題目の声が響き渡る中、勝岳会会長の田中偉夫氏をはじめ、参列の会員の方々が、亡き会員への報恩感謝をこめ焼香されていた。
 法要終了後の挨拶で藤田住職が、法要回向の中で、亡き会員の俗名、並びに戒名を読み上げながら、在りし日の姿、また先代住職と共に色々な行事に積極的に取り組まれていた時の思い出がよみがえって来て、なつかしく感じた事を述べておられ、会をつくって来られた方々、また会としてお世話になった方々に感謝し、回向申し上げることは大切なことであり、現代人にもとめられている心持ちであろうと、この法要の重要性を述べられていた。
 最後に、田中偉夫会長が、本日の参詣に対し謝意を述べられ、八月に行なわれる、勝岳会主催の川施餓鬼法要にも、一人でも多くの会員方々の参加を呼びかけておられた。
 長年の御法功に対し深く感謝申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 
十一月 御会式 バザー出店
『日本人はやはり日本酒好き』
 昨年より始まった勝岳会によるバザーの催しは、本年で二回目になる。
 品数の程は、昨年よりも多少少ない目であるが、会員の方からの貴重な品の中には、やはり色々なものがあり、去年同様驚かされる。
 最近は、品物を送ったり送られたりすることよりも商品券で代用することが多くなり、各人が趣味趣向に合った品物と交換することがほとんどだそうで、バザーに出てくる日常品にもかたよりがあるとのこと。
 成る程と思いながら、改めて出品を見直すと、確かにそうかもねと、バザーひとつとってしても回を重ねて行くのは時代の流れもあり大変なことだと考えさせられました。
 そんな中、去年同様相変わらずの人気が日本酒でした。それもお経のあがったものならなおさらとばかり飛ぶように出ていきます。
 買って行かれる方々が、すべて酒呑みと思いきや、料理の煮炊きに使うとか。これからの寒い季節にはさぞ体も温まることだろうと、買っていかれる方の背中に向かって合掌、お体を大切にと、礼拝。
 ともあれ、会員の皆様、檀信徒の皆様には貴重な品々をご提供いただきまして誠に有難うございました。バザー収益は、昨年と同じく勝岳会の会計に計上させていただき有効に使わせていただきます。
八月 川施餓鬼大法要
『涼をとりながら紙塔婆に折り込めて精霊送る』
 平成十一年八月十八日に琵琶湖雄琴港を出港した船は、檀信徒二十六名を乗せ、船上法要をしながら二時間の湖周遊をした。
 うちわ太鼓の鳴り響く中、途中勝岳会会員、檀信徒の方々からお預かりした紙塔婆を、供養の品々共々に流して各霊、有縁の霊に祈りを捧げた。
 本年は参加者こそ少ないものの、塔婆の数が1.5倍に増えており、会員並びに檀信徒の方々の注目の高さの程を窺い知ることが出来たものとなった。
 この上は、お盆の〆の行事でもあり、皆様も日々ご多忙とは思われるが、一人でも多くのご参加を願うと共に、それに向けての配慮をしていきたいと、会の役員の方々も互いに話されていた。
十二月 『年に一度のお身ぬぐい心も体もリフレッシュ』
 去る十二月十一日午後一時より、十八日午前九時より、勝光寺、龍嶽院のお身ぬぐい、すす払い、大掃除をさせていただきました。
 当日は、倉橋仏具店 倉橋 松司 様の指導指揮のもと総代様、会員の方々計十七名にて勝光寺、龍嶽院の仏様を一体一体シュミ壇からおろし、一年のほこりをぬぐって参りました。
 寒い中の作業でしたので、体の芯から冷える思いでしたでしょうが、仏様がまたもとの位置にお座りになりますと、見慣れた本堂の雰囲気も心なしか明るくなったように思われ、自分の心の垢も少しは落ちたように感じられるというのは、言い過ぎでしょうか。
 特に勝光寺の境内地には銀杏の大木があり、その葉は袋に入れると普通の枯れ葉の袋詰めよりも二倍か三倍かの重量があるように思います。
 どんな方でも年末は掃除をしなければならないと思いつめると、しんどいことでありますが、きれいになった様を見るにつけ、自分の心の垢を一つ一つ落し徳を積んでいっているとすれば少しはやる気になるかもしれません。
 十一目勝光寺のお身ぬぐいが終ったあと、ささやかながら参加者全員にて忘年会をさせていただきました。これもまたリフレッシュなことですね。
勝光寺客殿『龍雲殿』二階ホール
御利用の案内
 先年十月二日、総代田中偉夫様のお母様が、お亡くなりになりました。
 その際、お通夜、葬儀は、勝光寺客殿の二階ホールで、執り行なわれました。
  「私達の建てた客殿。ここには深い思い入れがある。だから、母はこの客殿から送り出したかった。皆様にも、せっかく力を出し合って建てた客殿なのだから、是非有効に使っていただきたい。」
総代様は、葬儀を無事に勤めた後、このように言われました。
  お寺としましても、ホールを皆様に、幅広く利用して下されぱありがたいなと思います。
  法事などの、お寺にかかわる行事以外(種々のイベント)でも、どうぞお気軽にお使い下さい。
※ 尚、詳しい使用方法については、勝光寺までお問い合わせ下さい。
■勝岳会会員のご紹介
 勝岳会副会長 米原 直三郎
『がんばれ!ハナタレ小僧!』
 昨年秋、次男に長女が誕生し、孫が出来た。
 おかげで、最近よく近くの近鉄百貨店に足を運ぶようになった。その度に下着から始まり、洋服によだれかけ、果ては親が使うマザーズバック(ポケットのたくさんついた手さげカバン)や子守帯まで買わされるはめになる。孫のためならと、ついついサイフのヒモもゆるんでしまうのである。
 子守帯とは、いわゆるおんぶひもの事だ。我々の時代のおんぶひもは、ガウンのひもみたいな物で子供を背負い、ギュウとひもでくくるといった簡単な物であったが、それとは全くちがう。おんぶだけではなく、タテ抱っこ、ヨコ抱っこと使用方法も色々で、説明書までもが付いているのである。もちろん見た目も全く違う物である。
  商品も新しく、複雑になり便利な物に変わって、我々には理解できないものが増えているが、それと同時に、今時の夫婦の考えや、子育ても理解しにくいと、思い知らされるひとコマがあった。
 つい先日も息子夫婦にたのまれて、赤ちゃん用まくらを買いに行った時のこと、売り場には二組の夫婦が子供服を見ていた。
  一組は三十代前半の両親で、二人とも髪を赤く染め、よく見ると子供の髪も赤かった。これも又、昔とは変わってしまった今時の夫婦の姿だと思った。
  もう一組は、二十代そこそこの若い夫婦だったが、お父さんに抱かれていた幼児の顔をちっらと見た時「あっ」と思い、もう一度振り返ってよくみると驚くほどの顔だった。
  きっと普段はかわいいのだろうが、その時は風邪をひいているのか、鼻の下がコベコベで、だんご鼻がカチカチに固まっているのである。自分の孫であれば、すぐにでも手を延ばして取ってやりたい所だが、それは他人の子なので、しばらく様子を見ることにした。
  となりにいた若いお母さんが、熱心に子供服を見ていたが、やがて子供の顔に目をやり、やっと気付いたのか「○○○ちゃんかわいそうに、この鼻痛いなあー」しかし、固まった鼻はそのままにされ、鼻がつまっているのか、口を開けたまま息をしている様だった。
  最近では見かけないと思っていたが、今も昔も鼻たれ小僧はいるもんだと思い、少し安心しその親子に、心の中でエールを送った。
  『ガンバレ!ハナタレ小僧!』
『扇子職人』
 クーラーで涼を取る時代、うちわ、扇子の伝統的あおり道具が運ぶ風には、ことさら趣味がある人だけになりました。
  一口に扇子と言っても、扇紙を卸す紙屋さん、箔を折す箔屋さん、絵柄を施す絵師、扇紙を蛇腹にする折屋さん、竹骨を一本一本削る骨屋さんなどの人たちの手を経て、私の所に廻ってくるのです。仕上げです。
  一本の扇子になるまでに、八十八の工程があり、ごく一部の機械が入る以外、人手だけが頼り、仕上げ工程で最も大変なのは、折り畳まれた扇紙を竹骨に挿入するため、紙先を口で吹いて押し広げる地吹き、折りが細かいほど吹く力がいり、頭がクラクラする事があります。中骨にのりを塗り、一本一本挿入するのです。
  又、繊細な竹骨を電熱器で曲げる作業、湿度や気温で微妙なさじ加減が職人の技なのです。
  茶扇や、踊り用の舞扇、目で楽しむ飾り扇。
  みんなに喜ばれる良い物を仕上げたい。

勝岳会行事案内《年中行事》
【6月】 勝光寺 物故者追善法要
過去一年間に亡くなられた会員の方を始め、皆さまのご先祖さまのご供養を営む法要です。
【8月18日】 琵琶湖 川施餓鬼大法要
湖上に於いて、水没者の霊、ひいては全ての精霊を追善供養する法要です。
【11月23日】 勝光寺 御会式・バザー出店
【12月】 勝光寺
龍嶽院
すす払い、大掃除
師走は一年間の締めくくり、大掃除をいたします。
【毎月16日】
1時半より
勝光寺 写経会
お経には、お釈迦さまの教えが説かれています。お釈迦さまは、お経を写す(写経)ことには大変な功徳があると説かれています。
    皆様のご参拝、お待ちしております。
年中行事案内
1月 大黒尊天福寿大祭
京都市下京区中堂寺西寺町
電話 075-811-3295
FAX 075-812-3252
勝光寺
 
京都市左京区東大路二条下ル北門前町
電話・FAX 075-771-6889
龍嶽院
2月 荒行僧による特別祈祷会
3月 春季彼岸法要
4月 花祭り
鬼子母神千団子法要
5月 稱観世音菩薩大祭
春季水子供養大祭
6月 勝岳会物故者法要
7月 土用丑特別祈祷会
土用行朝参りお題目修業
8月 孟蘭盆会法要
川施餓鬼大法要
9月 秋季彼岸法要
10月 七面様大祭
秋季水子供養大祭
11月 御会式
12月 お身ぬぐい

《お知らせ》
◎平成12年1月16日(日)
初参り大黒尊天福寿大祭 奉修
例年、成人の日(1月15日)に取り行っておりました大黒祭は、成人の日移動にともない、本年より日取りを変更せざるを得なくなりました。
※くれぐれも日時をお間違えなく!
 
◎園部大黒天長徳寺 甲子大黒様大祭
昨年4月、園部長徳寺に、荒行堂にて開眼した、大黒様をお祀りしました。以来、甲子のご縁日に大祭を勤めております。
 
本年甲子ご縁日
◎市内からは少し離れますが、また一度お参りください。お参りされる方は、道が分かりにくいので、事前に、ご連絡下さい。
(勝光寺まで)

【住所】
船井郡園部町口人五反田 92
園部大黒天 日蓮宗
長徳寺
 

初甲子
1月7日(金)
3月7日(火)
5月6日(土)
7月5日(水)
9月3日(日)
しまい甲子
11月2日(木)
◆朝九時より四時半まで受け付けております。
●お知らせ
会費振込口座のご案内
 日頃より、会費を納められる際には、来寺されたり郵送されたりと、お手数をお掛けしております。この度、その点を考慮いたしまして、振え口座を開設いたしました。付きましては、遠方の方はもとより、皆様にご利用下さいます様ご案内申し上げます。
勝岳会費 月額 300円

合計 年間 3,600円
宗教法人 勝光寺 振替 00920-7-140010
宗教法人 龍嶽院 振替 00990-4-140009

※ご利用の際には同封の振込用紙をご利用下さい。尚、手数料70円が必要となります。
※詳細は勝光寺までお問い合わせください
電話.075-811-3295 FAX.075-812-3252
 
・・・・ 伝言板 ・・・・
■教えます!
1.京漬物處 児島
電話.075-781-5504
2.中谷菓舗
電話.075-781-5504
3.野村治郎助商店
電話.075-561-3565
『ナスのカラシ漬の店』
「キララ坂の付近に有るという、おいしいカラシ漬の店を教えて下さい」という前回の依頼にお答え致します。
【京漬物處 児島】
雲母坂(きららさか)に店舗を構えているのは支店です。本店は千本今出川上ルに有ります。
【お味】
辛いです。非常に辛いです。まったりしています。

もう一件カラシ漬の店を紹介します。
【野村治郎助商店】
五条問屋町下ルにあります。
※余談ですが、キララ坂に有る、中谷菓舗さんの「でっち羊羹」がおいしいとか。
◆情報を下さった方は
 上田初枝さま・大石和蔵さま・米原伸治さまでした。
 ご協力ありがとうございました。
■教えて!
古典落語『もうひとつ』
題名だけで内容がわかりません。落語なのに納涼にピッタリとか。多少コワイお話だそうです。
落語に詳しい方、いったいどんな内容なのか、本当に恐いのか、誰の落語なのか、是非教えて下さい。
《編集後記》
ようやく、二号が完成してホッとしております。
今回力作を執筆して頂いた米原様、写真を提供して頂いた五十嵐様、そしてご協力して頂いた方々には大変感謝しております。ありがとうございました。
私事ではありますが、この度、平成十一年十二月を以って自坊に戻らせて頂くことになりました。皆様と一緒に歩ませて頂いた四年間、有難かったです。感謝しております。
願わくば皆様が、
健康でありますように。
幸せでありますように。これからも、ずっと祈らさせて頂きます。
南無妙法蓮華経
 
合掌(福澤)
発行所 勝岳会 京都市下京区中堂寺西寺町1 勝光寺内
発行者 藤田尚哉
編集者 福沢正俊、西村すなお